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 2009.5.6 越後湯沢にて
「強さに係るネイチャーガイド」

五月のゴールデンウィークは尾瀬や上越周辺の山間でノンビリした時を過ごしました。久し振りに「強さとネイチャーガイドの狭間」に関連するテーマを想ってみました。さて、何から書きますか・・・、兎に角、進めてみます。

私は、医薬品の開発に係るサラリーマン生活を35年程の間続けている。
結構面白く、楽しく、それなりにやりがいもあって続けられた仕事ではあるが、勿論、嫌なこと、不快に思うことも沢山あった仕事でもある。特に企業に籍を置く人間は、常に進歩・改善という言葉に背中をおされながら頑張る習性がある。それはそれで否定されることではないが、誰でも何かを犠牲にした「時」を経験しているかと思う。
同じ「時」を持っていながら、ある意味からすると我儘に、そして強い意志で「己の時」を掴む人々もいる。私がサラリーマン生活よりも長く活動している登山、特に登攀では命も懸ける人もいる。

私は、現在、ネイチャーガイドとサラリーマン生活の二足ワラジを履いている。我儘な人生ではあるが、「強さ」のテーマに参加できる「意志」や「フィジカル」の話題から大きく乖離している。それでも、「強さ」について思うことも多い。
先ず、常に人間の都合、組織の都合が優先してきた歴史は人類の必然であることは止むを得ないことと思っている。表現を変えると、「欲望」に背を向けることができず、極端な場合は、「自分勝手」な行動へ向かうこととなる。その結果として、地球温暖化、世界経済危機などがある中で、日本は大丈夫、日本は努力しているとして、既にグローバル化している影響を忘れよう、あるいは忘れたいとするのも、また、身勝手な人間らしさともいえるかもしれない。

ネイチャーガイドらしく、もっとミクロ的なテーマを挙げると、例えば、「カエルのツボカビ病」がある。とりあえず、今の自分に直接的な禍がないと感じれば、カエルがいなくなっても、特に不都合がないということになる。最近、大きな話題になっている新型インフルエンザにしても「とりあえず、国内は大丈夫」と一安心というのが表面上の納得の仕方なのかもしれない。しかし、安心している人たちは、実は既に瞬く間に影響が出る小さくなった地球を何となく感じているのも否定できないだろう。そんな小さくなった地球の「山という場所」で冒険的な行為を強い意志で継続した「強い人」を想ってみたい。

T.自然をより強く感じるアルパインクライミングへの憧憬

私は、年齢による肉体的な衰えもあるが、骨折した左肘の後遺症で微妙なバランスと瞬発力ある高難度の岩壁登攀はすでに無理です。勿論、しっかりしたホールド(所謂、「ガバ」)があるルートは、歓迎である。実は、私は、一時期、登攀から離れたスポーツに傾倒していた時期があった。そして、戻ってみると、なかなか難しい時代になっていました。アルパインクライミング(多分、アルプス的な岩壁登攀のこと/落ちることを前提としていない、絶対に落ちてはいけないクライミング)、フリークライミング(安全確保のため以外には道具を使わず、自らの手足だけで登るクライミング)、エイドクライミング(人工登攀/安全確保のためだけでなく、前進するための手段としても道具を使うクライミング)という分類用語が飛び交う時代でした。

予備知識としてフリークライミングで登る壁の難度ですが、大雑把にいて言えば、下記のようなグレードになっています。
グレードの付け方は、アメリカ方式やフランス方式などありますが、日本ではアメリカ方式が一般的です。インドアのジムでのフリークライミングの対象となるのは、5.7あたりからのようです。そして、5.10までがビギナー、5.11が中級者、5.12が上級者、5.13以上は「とてつもない人」らしいです。とは言っても、既に世界のレベルは、5.15となっていて、アルパインクライミングの世界的クライマーと言えるとすれば、5.13が最低限の能力といわれているじだいとなっています。いずれにしても、とてつもないレベルです。

今は人工壁があって、昔に比べると攀じ登る技術の上達はものすごく早いらしいです。人工壁でのパワーとムーブテクニックはすぐに身につきます。なかなか身につかないのは実際の岩壁のルートで求められる思いっ切り、そして、恐怖心が伴う疲労をカバーする適応力といえる技術です。自然の中で行動する総合力は経験によって獲得できるのです。しかしながら、命がけの行為よりもスポーツクライミングで楽しむ方が現代的なのでしょう。私は老若男女が楽しむスポーツクライミングを十分に理解できるのですが、サバイバルセンスともいえる自然の中で創意工夫する楽しみや絶え間なく変化する風や光を感じる楽しみは得られないだろうとも思っています。アルパインクライミングを志向する若者が減っていることは事実である。既に冒険的な山域が狭まっていることもあるが、それぞれのクライミングの思考、哲学の違いであることから、生きている実感を持てると思えるアルパインクライミングは私の単なる好みでしかない。
私の思い込みではあるが、自然の中で強い人は、一般的に生あるものに心優しいとの私の先入観がある。地球温暖化の引き金を引いたと思われる人類は、結局弱い生き物であったことから、自己防衛に奔走した結果かもしれません。そんな背景もあって、私自身は自然の中で強くありたいと願うし、また、その自然が残って欲しい。そして、先ず、身近な里山へ子供たちを誘い、一人でも多くが自然の中で力強く駆け回る楽しさを実感してもらいたいと願っています。

例えば、私が知っている(あるいは憧れた)強い登山家としては、下記のような人がいます。そして、なぜ私が好ましいと思うのかといえば、素直に強く生きようとし、そして生あるものに優しい人だからといえます。

● ルイ・ラシュナル:
私の登攀への憧憬を募らせたフランスの登山家である。1950年6月3日 、人類初の8000m峯アンナプルナ登頂フランス隊の一員で、モーリス・エルゾーグと共に登頂した。レビュファー、テレイ、エルゾーグ等素晴らしい登山家が結集したフランス隊の中で最も私が魅かれた人である。終戦直後の貧しい時代の中でルイ・ラシュナルと気が狂ったようにアルプスの岩壁を次々と登っていく経緯も魅力的であった。
● ラインホルト・メスナー:
超人メスナーといわれた。世界で初めて8000m峰全てに登り、酸素補給器も使わなかった超人である。という完璧なスタイルをやられてしまっては、誰も彼を超えることなどできない。しかし、”魔の山”ナンガパルバートでは、登頂をしたものの弟を亡くし、自らも凍傷で指を切断している。(余談だが、私が若いにロープを結んだ友人は、ナンガパルバートで有名なヘルマンブールに憧れていた。その友人は、落石事故で氷河に消え、30年後に発見された。)厳しい登攀を継続したメスナーは、存命している。強い人である。

日本人では、勿論、多くの「強い人」がいる。例えば、昭和の戦後といわれた時代に、決して恵まれた境遇でなかったと想像されるるが、登攀が好きでたまらなかった以下の3人の名前を挙げておきたい。

● 小西政継:
日本のロッククライミングの一時代をリードした山岳同志会の小西政継さんである。その姿勢、その登攀実績は憧れであった。もっと紙面を割いて紹介したい人である。
● 長谷川恒夫:(ツネさんと呼ばせてもらいます)
世界初のヨーロッパアルプス3大北壁冬期単独初登攀者である。「生きぬくことは冒険だよ」と表現しているが、嫌みのない穏やかな人であった。
● 森田勝:
集団、組織に馴染めない一部で“一匹狼”と呼ばれた孤高のクライマーである。多分、ツネさんをライバル視していた人で、人生の中で20年間を登攀に賭けて激しく臨んだ人である。何故か私の先輩登攀者(職人である)と馬が合った人で、職人気質と波長が合ったのだろうと思える。

そして、私が所属する(OBですが)日本登攀クラブの仲間たちがいる。今月、クラブ創立50周年の祝いが予定されている。今は、山野井泰史さんが有名であるが、自由で、自律的な男だけの登攀を標榜する強いメンバーが集まっています。世界の厳しいルートを楽しんだメンバーだが、名もなく、記録もなく、山以外に然程の拘りを持たない雰囲気が好きである。山へ行けない時の現役は人工壁も多くがやっているようですが、自然の壁でトップロープ(ルートの一番上に確実な支点をセットし、常に吊り下げられたような状態で登る)よりも、リードクライミング(ロープを途中途中でセットしながら自分の力で登るスタイル)の方が、勿論、皆好きで、嬉々として登っているようです。

もう一つ、私のようなネイチャーガイドは、登るというよりも歩くことで様々な楽しみを感じてもらうことを優先している。以下に述べるが、その歩くことさえ、昨今は危ないのである。強くなってもらいたい課題でもある。

U.歩くことに係る心配事

つい最近のことである。千葉県のある幼稚園児293人を対象に足のサイズ(足長、足囲、足幅)や指の変形、足裏の接地状況を千葉県のNPOが調べた報告がある。その結果、「浮き指(うきゆび)」が47%、「内反小趾(ないはんしょうし)」は70%にも及んだとのことです。更に大人に起こるトラブルと思われていた「外反母趾(がいはんぼし)」も4%だったとのことです。

「浮き指」は足の指が地面につかない状態を指し、「内反小趾」は小指が内側に曲がることをさしています。「浮き指」は身体の重心が後よりになり、また「内反小趾」は外側に踏ん張れなくなり、バランスを崩しやすいというトラブルを発生させます。体力測定での優劣には然程の興味はないが、真っ直ぐ歩けて、ヨロケず、そして疲れないこどもたちが多くなってもらいたいものです。

最近、私も参加しているNPO活動で「こども山登り教室」を開始している。歩けない子供たちが少なくなることを応援したいものです。確かに、室内での遊びや習い事も大切であるが、できれば、素足で歓声を上げて遊ぶ姿をみたいものです。それが、体力的にも、知的にも強さを養うと信じている今日この頃です。

人には自分自身が大切にしたい事柄への拘りも必要であるが、次への心や行動の展開をスムースに行うため、時には全く日常を忘れてしまうことも必要な気がします。想像力が豊かな人は、様々なものを視覚等の五感で感じる時を大切にしているような気がします。つまり、思い切って「拘り」を忘れる時へ自分自身誘う「強さ」も必要だと思っています。もしかしたら、二酸化炭素を吸収する森や海を自分の目で見て感じる時を得たこどもたちは、地球温暖化についての対応へのヒントを見つけてくれるかもしれません。先ずは、自然に順応し易くなる「強さ」を獲得する場を、楽しみながら応援したい、そんなネイチャーガイドを続けたいと思っています。

「強さとネイチャーガイド」のテーマから多少脱線しましたが、何となく五月の連休の山で思ったことを書いてみました。

 2009.1.1
山と品格

私の若い頃からの憧れの山は、ペルー・ブランカ山群のアルパマヨである。
標高は、エヴェレストと比較するとかなり低い。アルパマヨの標高は、5980mらしい。というのは、例えば、初めて1936年にドイツ・オーストリア山岳会がアルパマヨを世界に紹介した時点で6200m、1957年のドイツ隊が南稜から登頂した時点で6100mとされ、必ずしも定まっているとは言えないからである。何れにしても、標高至上主義ではなく、バリエーションルートが好きな世界中の連中が興味を持つ山でもあると思っている。
アルパマヨは、西面が壮絶なとも形容されるアプローチの難しい懸垂氷河で、その左右にある北稜と南稜で形創るピラミッド状の山である。まして、三角錐の上部から切れ落ちる無数のヒマラヤヒダが、この上なく美しい山である。単独で登るには弱点がどこにあるのか思わず探りたくなる厳しく、登りたいという意欲を掻き立てる美しい山である。兎に角、私にとっての「品格」ある山である。
http://www.office-tierra.com/archives/2007052201t.jpg
ところで、「品格」とは何だろうか?広辞苑には「品位、気品」とあり、新明解国語辞典では「(1)節操の堅さ、見識の高さや、態度のりっぱさ、姿の美しさなどから総合的に判断される、すぐれた人間性
(2)品のよさ」とのことである。
山に人格を形容するとすれば、存在している姿そのものから欲得抜きの気品が滲み出て、人々に美しさ、憧れ、気高さを伝える、そんな姿に思える。
昨今の我々の身の周りにある社会状況を見渡すと、嘘、欺瞞、虚栄等の品格の対極にあるような話題が多い時代のようである。時には、品格ある山の懐に入り込みたくもなる。
山と品格と言えば、どうしても深田久弥氏が著した「日本百名山」に言及することになる。
私自身はあまり好きではない「日本百名山」という一人歩きしている呼称に違和感を覚えている。それを著した深田久弥氏は、選定した『名山』に次の三つの基準を挙げている。
  @ 【山の品格】:立派な山。人を感歎させる山。
  A 【山の歴史】:人間と深いかかわりのある山。通俗化した山は除外。
  B 【山の個性】:独自の特徴がある強烈な山。
もう一つの条件としては、高さが1500m以上という基準である。
多分、深田氏本人は山に甲乙つけることなく、氏が向う山は「どの山も好き」だったと思う。しかしながら、誰かからの「どの山が好きですか?」の問い掛けに「こんなに多く、どの山も好きな山ばかりです」と応えたかったのだろうと勝手に思わせていただいている。
私は、「日本百名山」とか、誰が称したか知らないが「世界百名山」等を幾つ登ったという言葉を聞く度に、海外の高級なブランド品を買い漁る日本人の過っての姿が思い浮かび、決して心地よくない。勿論、植村直己等の時代頃までならば、純粋に冒険心に触発され、世界の高峰に臨んだ姿として感動する。しかしながら、現代においては、十分な装備、資金、利便性等々を想像するだけで、例えば、最年少あるいは最高齢で「世界最高峰登頂」の報に然程の価値を感じない。日本の経済界やスポーツ界をはじめ、様々なリーダーシップをとるべき人々は、「格付け」が好きなようである。マスコミを含む一般社会は、もっと別の視点で人間の気高い行為の評価を模索すべきではないだろうか?
余談だが、私が十代で世界の山々に視線を向けだした頃、ある未踏峰が多くあった地域の雪線は400mと云われていた。現代の地球温暖化の環境にあって、アルパマヨの下部氷河はズタズタとのことであり、その他の世界中の氷河を持つ山々も同様であり、寂しさを感じている。
さて、もう一度繰り返すが、深田氏が著した「日本百名山」について「人に人格があるように山には「山格」がある」としたのは、当然ながら彼自身の山への想いであり、息せき切って競うように登って山の数を数える姿を推奨したはずではない。
確かに百名山と言われる多くの山は、私にとっても魅力ある山ではある。とは言え、そもそも、自分の感性で「登りたい」とか「然程登りたくない」という極めて単純な対象である山を味わうこともなく、見上げることもなく、競ってツアー(スタンプラリー?)で登る意味が私には分からない。また、例えば、登頂ルートに既にヒックスされたロープを伝ってエベレストに登る昨今と、過っての冒険的登攀の結果登った意味合いは当然ながら異なるはずである。現在のエベレストへのノーマルルートは、極論すれば、ただただ高峰での景観を楽しみたい人、世界一高い頂きに行ったことに満足感を求める人、そして、それをサポートしたい人といった類の人々のためにあるルートといえるかもしれない。
それでも、エベレストには確かに品格がある。何時か、エベレストに向かう若者たちは、虚栄や虚飾と無縁である品格に素直な感動を覚えることだろう。
暫く以前の話になるが、ある新聞に深田氏の百名山の記事があり、百名山の選定基準の「品格、歴史、個性」は、我々が失いつつあるものばかりとのことであった。もう一つ、その記事には、「裏山に百名山に無い思い」の川柳があり、里山も愛おしい私の場合、何となく同じ思いをしている。
話が変わるが、私は、昔(40年近く前)、今では立派な管理人(元谷川岳救助隊の馬場さんご夫婦)がいる谷川岳の「肩の小屋」の小屋番をしていたことがある(その後、山小屋は何時の頃からか無人化し、確か平成14年から馬場さんが夏季に常駐するようになった)。その頃の山小屋の頭は、小暮さんという人だった。
偶然、東京雲稜会の報告文(一ノ倉沢滝沢ルンゼ状スラブ/昭和38年6月30日(晴のち雨)L穂苅さん、吉川さん)で小暮さんのことを書いて下さっていたことを知った。文は極単純で短く、下記のような内容であったが、自分のことのように何となく嬉しく感じた。
「・・・(前略)・・・肩ノ小屋着17時55分、取り付いてからおよそ13時間半かかった勘定になる。小屋番の小暮さんから夕飯をご馳走になり、西黒尾根を下山にかかる頃は、長い夏の1日も暮れなずみ、去来する霧の中を、・・・(後略)・・・」何処の山小屋も同じであるが、現在の国内で、そんな扱いをしてくれる山小屋など稀有だろう。ビジネスを無視することが難しい現代と異なり、何故か当時の世相の背景にある一種の「心の余裕」のようなものを感じる。
谷川岳には、多くの優秀なクライマーが眠っている。ある人が調べてくださった谷川岳に眠っているクライマーを5人程紹介する。

●平田恭介(慶応モルゲンロート・コール−東京登歩渓流会)
  昭和14年9月26日、一ノ倉沢の滝沢を初登攀
  昭和15年5月12日、一ノ倉沢アルファ・ルンゼで滑落死

●原田輝一(朝霧山岳会、後退会)
  昭和32年3月29日、一ノ倉沢の滝沢を吉尾弘とともに 冬季初登攀
  昭和34年8月23日、谷川岳南面・幕岩Aフェースで滑落死

●鈴木鉄雄(鵬翔山岳会)
  昭和36年2月、前穂高東壁・最大の壁、Dフェイスを冬期初登攀
  昭和39年5月31一ノ倉沢・衝立岩正面壁にて懸垂下降中、転落死

●今野和義(山学同志会)
  昭和46年1月1日、グランド・ジョラス北壁冬季登攀
  昭和51年5月12日、ジャヌー北壁に初登攀
  昭和53年12月1日、一ノ倉沢・衝立岩正面壁で 単独登攀中転落死

●吉尾弘(朝霧山岳会−アッセントクラブー東京勤労者山岳会)
  昭和32年3月29日、一ノ倉沢の滝沢を原田輝一とともに冬季初登攀
  昭和53年10月にはネパール・パビール峰初登頂
  平成12年3月13日、一ノ倉沢・滝沢リッジで滑落死

断わっておくが、上記の5人が人格者であったか否かではなく、各時代の優秀なクライマーであったといえる。そして、勿論、死を美化するつもりは毛頭ない。ただ、かれらを突き動かした山という存在があったのである。ただ、人の心を動かす山は、スタンプラリーの対象ではないことは確かだと思っている。
人は眼前にある対象を様々に評価する基準を持っているが、山はいつも泰然としてあり、我々を迎えてくれるし、我々の感性に何らかの力を及ぼすようである。ここまで書いてきたが、もう少し自分自身の品格も振返りつつ、これまで対峙した山々が私自身にプレゼントしてくれたものを想ってみたい。