2011年の地球の一隅で思った山と自然
《南米〜ヒマラヤ〜日本の自然の話題》
宇宙での167日を過ごした古川聡さんが11月に地球へ無事帰還しました。
日本の報道陣に「今何がしたいですか」と尋ねられ、「お湯がいっぱい入ったお風呂につかりたい。地球の空気はおいしく感じる」と話したそうです。
私は、今年、2006年から開設していたホームページをリニューアルしました。そのトップページの隅っこに ” Precious earth ”と貼り付けました。
大切な地球、かけがいのない地球が牙をむいた2011年でした。2011年3月11日の東日本大震災では言葉で表現しようもない苦難を多くの人々が受けました。その苦難を更に厳しくしたのは、人間であったような気がしました。被災地での泥カキをしながら感じたのも、人間の優しさの一方に、どうしようもない弱さや相容れないことも感じました。今回は、できるだけ震災の話題を避け、この先を山と自然に係ることにフォーカスして述べることにします。
【南米でのチョットした自然の話題】
今年の2月に赤道直下の雪の山を登りたくて一人旅でエクアドルへ出かけました。
高度順化としてイルニサ・ノルテ(5126m)を登り、次に地球上で最も高い活火山であるコトパクシ5987mを登り、最後に19世紀の初めまでは地球上で最も高い山といわれたチンボラソ6310mを辿りました。チンボラソは、降雪でルートの状態が悪くて途中で引き返しましたが、雨季の山登りですので、まあ、仕方がないことでした。登った山も、引き返した山も、最後まで麓から山の全様を見ることができませんでしたが、赤道直下の雪と氷の登山を楽しむことができました。勿論、ネイチャーガイドの興味としての動植物の面白さは尽きない程ありました。
ところで、エクアドルの山は、アマゾン川から大西洋、そして、ガラパゴス諸島が浮かぶ太平洋への分水嶺です。当然ながら、ハチドリに代表される野鳥やランに代表される花々は、私の大きな興味でした。
多くの人々が心配している地球温暖化の影響として、アマゾン川が干上がるとの研究報告があります。
2011年12月5日の情報ですが、地球温暖化の影響で、緑豊かな南米アマゾン川流域が今世紀末までに乾燥化する恐れがあるとの分析を、国立環境研究所(茨城県)のチームがまとめたとのことです。世界有数の熱帯雨林が広がる流域は、野生生物の貴重な生息地で、二酸化炭素を大量に吸収する「地球の肺」の役割を果たしていることはご存知のとおりです。国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が参考にしている計算方法で算出した結果、現在より気温が1度上昇すると、雨雲を発生させる大気の流れが変わって、水資源量は年100o以上増えるが、中下流では最大で年300o以上減る可能性のあることが分かったとのことです。今世紀末までにブラジルの気温は3度程度上昇するとのIPCCの予測をあてはめると、年間1000o近くの水資源量が減ることになるとの報告は、本当に心配です。『』軽視できない減少量だ。豊かな水資源は人類の生存に欠かせない。今後、日本をはじめ世界各地の変動予測に役立てたい』とメンバーがお話しなさるのは、他人事ではないように思います。
もう一つ、12月に新聞報道等で伝えられたアンデスの地球温暖化に関する話題です。
30年近くチリ南部の氷河の観察を続けている南米チリの民間の研究グループが、チリ南部の氷河の様子を定点観測したところ、1年間でおよそ1q後退と極めて速いペースで溶けたことが分かったという報告です。内容は、下記のとおりです。
チリ南部のパタゴニア地方にあるホルヘ・モント氷河の様子を去年2月からことし1月にかけて、同じアングルから毎日4回撮影し、12月7日に1445枚の写真を公開しました。氷河は1年間におよそ1q後退し、特に先端部分が大きく失われました。ホルヘ・モント氷河は、昔の地図と比較したところ、過去110年間で20q近く後退したとみられており、研究グループでは、今回の観測によって溶けるペースが極めて速くなっていることが分かったとしています。その理由について、グループでは、氷河の下に海水が流れる特有の地形に加えて、地球温暖化の影響を指摘しています。世界各地の氷河を巡っては、国連が3年前、地球温暖化の影響で2000年に入って年間に溶け出す速度が平均で倍になったとする調査結果を発表しており、飲料水や農業用水を氷河に頼っている人たちに深刻な影響を与えるとして対策を呼びかけています。
寂しい話が続きましたが、後半での希望につながる話の展開を期待してください。
ところで、私が地球上で最も見たい、そして、登りたい山は、アンデスのアルパマヨ(5947m)ですが、やはり温暖化の影響で更に登ることが困難な山になっています。何とか明るい話題を見つけます。
【ヒマラヤでのチョットした自然の話題 〜ブータンの幻の蝶〜】
ブータンのワンチュク国王と王妃が国賓として11月に来日されて以来、ブータンへの関心が高まりました。幸福度世界一といわれる国ですが、近代化という波の中で困難も多くあるかと思います。決して経済的に豊かとはいえない国ですが、東日本大震災に際しても、国中で犠牲者を追悼するとともに、100万ドルもの支援金を提供してくれました。大変親日的なブータンですが、ブータンの農業を30年間指導した日本人の西岡さんたちの貢献もあったものと思います。
既に40年前程にもなる学生時代ですが、友人が憧れていた中国・ブータン国境に位置するクーラカンリ(Kula Kangri / 7538m) の話をよく聞かされていたことを思い出しています。
2008年10月ですが、添付した写真のルートでクーラカンリの縦走を目指していた日本人3人が遭難しています。実は、1970年代に私も関係していた無宗楽生会というグループがアンナプルナの縦走を計画していました。未熟な私も加わりたいと思い、その計画の場に足を運んでいました。残念なことに、隊長が国内で遭難死して頓挫してしまいました。ヒマラヤの高峰を縦走するなどという、当時、そのような計画があったことを懐かしく思いました。
勿論、クーラカンリの縦走を目指していた日本人3人は、私が望みようもない実力者でした。
一人は、明大山岳部出身の加藤慶信さんです。8000m峰を 8座に登り、2005年にはエベレストに無酸素で登頂しています。二人目は、早稲田大学山岳部出身の有村哲史さんで、ヨーロッパでの積極的なチャレンジをなさっていたと聞いています。最後に、中村進さんです。彼は、エベレスト(1988年)、南極(1994年)、北極(1978年)
の 3極点に日本人として初めて到達しています。そして、現在の映像文化の先駆けとして、1988年のエベレストでは史上初の山頂からの生中継を行った人です。
ちなみに、私の友人は、クーラカンリを登る前に当時(1070年代)の学生運動の波の中へ入ったままになりました。
それは、それとして・・・
10月に、幻の蝶「ブータンシボリアゲハ」が日本とブータンの共同調査隊により80年ぶりに発見されたとの話題は多くの人たちの興味を引きました。調査にNHKの取材班も同行し、世界で初めてテレビカメラでその姿を紹介しています。
正確には、78年前に発見され、その後、一切の報告がなく「幻のチョウ」といわれた大アゲハで、それが「ブータンシボリアゲハ」です。
大人の手のひらほどの大きさがあり、羽に鮮やかな深紅の模様と3つの尾を持つのが特徴です。5匹の標本がイギリスの大英自然史博物館に保管されているだけでした。その貴重な蝶をブータン政府の森林保護官が見つけたという情報が2年前に伝わり、日本蝶類学会がブータン政府から特別許可を得て、今年8月、初めて現地調査を行い、78年前に発見された場所とほぼ同じ標高2200mの森の中で確認したのです。
テレビの映像からは、学者の好奇心と子供のような本当に無邪気な喜びが伝わってきました。その森は、地元の人が日頃足を運び、蝶が森の中を自由に飛び交う日常の光景あり、幻ではなかったわけです。
幻という言葉からすると、人跡未踏の深い原生林や峡谷、高山かと思えるのですが、そうではなかったのです。ブータンの人と自然の調和があって、「幻のチョウ」の姿があったのでした。
その蝶は、アネモネの一種の白い花などを吸蜜して、幼虫はウマノスズクサ属などを食草としています。何よりも、定期的に木の伐採が程よく行われている二次林に生息する、山里と共に生きる蝶だったのです。ウマノスズクサは、アゲハ類の食草として知られているとのことです。そして、日本に生息するジャコウアゲハの食草です。また、国内で個体数が激減しているギフチョウは、ウマノスズクサ類のカンアオイを食草としています。昔、日本の国内のどこにでもあった雑木林と同様に、象徴とも言える大木を残しつつ適度に伐採することによって、森に陽光が差し込み、そこにウマノスズクサが生え、環境が保たれていたのでした。
さて、日本人の多くが興味を持ってしまった(?)将来のブータンはどうなるのでしょうか?
当然ながら、観光客が増えますし、ブータンの若者たちは新たな文化に敏感ですし、既に謳歌しています。
日本の小笠原も同様ですが、今後の自然との共生の知恵を見守りたいですね。
人間が介在すると複雑なことが沢山あります。今回、調査が許された滞在期間は一週間でしたが、その生息地は、中国、インドの国境に近く、軍事機密上の理由で外国人の立入が禁じられていたからだそうです。
何はともあれ、テレビ映像では、ブータンの森林保護官候補の青年男女の研修の場が紹介され、そこで、日本の学者と青年たちとの熱心な情報共有があり、将来への希望を抱かせました。そして、現地で採集したシボリアゲハを全て惜しげもなく、現地に残すとの日本人学者の言葉がありました。
【日本の里山で 〜「絶滅危惧1A類」ヤンバルクイナ、そして、リンゴの話題〜】
3月4日付の新聞に下記の記事がありました。
『沖縄本島北部だけに生息する飛べない鳥、ヤンバルクイナが車にはねられる事故が続発し、 昨年は「やんばる自然保護官事務所(沖縄県国頭村)」が調査を開始した1995年以降で最多の31羽が死んだことがわかった。事故は繁殖期に入って活動が活発化する3月下旬以降に増える傾向があり、同事務所はドライバーに注意を促すチラシなどを作成する。
』
『同事務所によると例年、3月下旬から9月頃までの繁殖期に事故は集中しており、昨年は 31羽中27羽がこの期間にはねられて死んだ。ヒナにもエサを与えるため、車道にはい出たミミズを食べようとして事故に遭うらしい。雨上がりなどはぬれた路面にミミズが出ることが多く、
特に事故が増えるという。 高速で車が近づいてくるとパニックになり、逃げる方向が分からず車に飛び込むケースもある。 骨の中心が空洞で折れやすく、折れた骨が内臓を傷つけることで致命傷につながりやすいという。』
関係機関が道路への侵入防止柵(延長系1100m)や道路下に専用通路5か所を整備するなどの努力をしているとのことですが、なかなか効果が上がらないとのことです。それが実情でしょう。
道路に不案内な観光客や朝夕に通勤する地域住民による交通事故死の原因があげられていますが、有効な防止策はいまだにないままのようです。
止めようもないことは、身の回りに数え切れない程あります。例えば、グニチュード9.0を記録した地震、その結果として、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.5mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしたことは諦めにも似た思いもあります。でも、その後の放射能による心配を含めて、可能な限り被害を受けないで済む、出来るだけ悲しまないで済む方法はあるような気がします。
人には抗しきれない欲というか業がありますが、青森のリンゴ農家の木村秋則さんのような苦労を笑って言えれば嬉しいのですが・・・。多分、私のような者には真似ができないかと思いますが・・・
津軽のリンゴ花で溢れる風景は、長閑な季節を感じさせてくれます。
明治10年、山野茂樹という士族が屋敷に植えた木に3個の実がなったのがリンゴ栽培の歴史の始まりとのことです。
時を経て、リンゴ栽培は、病害虫防除の歴史だったとのことです。
そこに、現在、無農薬、無肥料のリンゴ栽培に成功した津軽人が現れました。彼は、木村秋則さんです。
実際には、8年間無収穫の格闘の末の「自然農法栽培」の成功です。リンゴの木が本来の生命力を取り戻すまでの無収入を耐え得る人はどんな人なのでしょうか?
極めて穏やかで人懐っこい人とのことです。一度、お会いしたいものです。
彼がチャレンジしたきっかけは、奥さんの農薬かぶれの症状だったとのことです。当然といえば当然ですが、農薬を止めた途端にリンゴは病害虫に襲われたとのことです。
苦労の末の結果として、気付かないままにいた『動植物の営みや自然の摂理を良く観察すれば、目指す自然農法の成功へのヒントが沢山あった』とお話しできる今があると伝え聞きました。
彼は、『若い頃は、リンゴは、自分の支配下にある部下だと、傲慢にも思っていました。でも、やっと実ったリンゴでわずかな収益を得た時、リンゴこそが主人公で、私は、どうやったらリンゴの木がいい実をつけてくれるのかを考え、そのための手伝いをする番人にすぎないと気づいたんだよ』とお話しなさっています。
『自然のままにリンゴを育てれば、病気も出るし、虫もつく』といった当たり前なことを許容できるレベルを見つけたのだと思います。
『害をなさないように工夫するからそこにいていいよ、というのが私の考え。みんな、自然が私に教えてくれたことさ』と笑って答える木村がいます。
南米で感じたこと、懐かしいブータンの話題から感じたこと、そして、国内で感じたこと、今年も様々ありました。抑制し難い人間の心の持ち方ということを論じるのは、私にとって大袈裟過ぎますが、自分自身が許容できることを感じながら幸せに近づきたいものです。
山登りも、あそこに登った、ここに登ったと自慢や比較は詮無い事ですので、山へ向かう時だけでも、自分なりの自然流のペースを探したいと思う今日この頃です。
2011年12月30日
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