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 2012.02.26
『秘境』について

《1. 秘境と健康の話題》

旅の楽しみの一つに、行先々の食の味わいがありますね。あれは、苦い、辛い、甘い、そして、珍しい、あれは体に効く等々の噂を確かめたくて歩く姿が想像できます。

先ず最初の話題として、「秘境と健康の話題」から見えてくる体に良いことをネイチャーガイドとしてつぶやいてみます。体に良いことを実践していれば、きっと人生の何分の一かの幸せが巡ってくるような気がします。

現在は、どうなっているか分かりませんが、1970年代の前半に私が初めてヒマラヤに足を運んだ頃の話から始めます。その頃、世界の3大長寿村(地域)は、カフカス(コーカサスの標高5000m級の峰を望む現在のグルジア共和国)、フンザ(標高7000m級の峰を望む現在のパキスタン)、そして、昨年2月に一人旅をしてきたエクアドルのアンデス山中、海抜1300mにあるビルカバンバでした。いずれも、山間というか奥深い渓谷の彼方です。ビルカバンバについていえば、インカの言葉で「聖なる谷」を意味する秘境だったはずです。そういえば、東京からほど近い現在の山梨県上野原市の棡原(ゆずりはら)地区は、「長寿村」として、当時、耳にしたものでした。
なぜ、山奥で長生きできるのか、諸説ありますが、「のどかな風土とバランスの取れた食生活」が要因の一つのようです。

例えば、ハーバード大学のアレクサンダー・リーフさん、エレン・ランガーさん、東北大学の近藤正二さんの報告などには、共通項が多くあります。
1970年代にあったアレクサンダー・リーフさんの報告は面白いです。
それらの地域では、「歳をとることが人間としてより多くの尊敬を勝ち得ることにつながっている。尊敬と信頼という精神的な充足感が健康、長寿の支えになっていた」ということです。
同じく、「「老い」に負けない生き方」等の読み物でも知られているエレン・ランガーさんの報告では、高齢者に「自分の実年齢より20歳若返ったつもり」で考えて行動するように促したところ、行動パターンやフィジカル面が5日間で目に見えて変化したとのことです。「病は気から」と耳にしますが、「老化も気から」ということですかね。のどかな集落の人々の絆が目に浮かぶようです。
また、近藤正二さんは、36年をかけて国内の990もの町や村を歩き、その地域の食と寿命の関連を一人で調査したということです。その結果、緑黄色野菜、特にニンジンやカボチャをよく食べている地域、他に大豆や海藻を常食している地域は、長寿だったそうです。そして、よく体を動かし(よく働き)、大食いせずに生活していたということなのでしょう。
食といえば、当時の3大長寿村を調査したジョン・ロビンズさん(アイスクリーム会社「サーティーワン」の創業者の子息らしい)等の学術報告によると食事内容が酷似していたようです。つまり、「@.主食は小麦やトウモロコシのパン、A.乳やチーズを摂っていますが極めて少ない動物性食品、B.塩分の摂取も少なく、摂取総カロリーも少ない(成人男子で1800Cal程度)食習慣」といったような共通項です。
とはいっても、1980年頃までの状況ですし、私には真似のできない食生活ですが・・・。
実際、例えば、ビルカバンバは長寿村ということで、観光地となり、昔のような「主食のユカ芋を毎日畑から取ってきて蒸し、トウモロコシをふやかしたりする食習慣というか生活習慣」が激変したということです。したがって、長寿は幻想のように、その面影は昔の物語になっています。もっとも、ビルカバンバの「聖なる水」と呼ばれる川面を見ながら、コーヒーの一杯は、コーヒー好きの人にとって「のどかさ」を味わう一時になるかと思います。余談ですが、コーヒーは、隣国のブラジルに1720年頃、コロンビアには1808年頃、そして、エクアドルには、1830年頃に伝わったとのことです。
もう一つの長寿村、カフカスには、グルジアワイン、「クレオパトラの涙」があります。アルコール好きな人は、長寿のことなど忘れ、その美味しさを堪能するだけで十分でしょう。

さて、日本は世界でトップクラスの長寿国です。そのような背景もあって、健康の話題には敏感ですね。
今月、「京都大学の河田照雄さんなどのグループが「メタボリック症候群を改善するのに有効な脂肪の燃焼成分がトマトにあることを解明した(210日付の米オンライン科学誌プロスワン)」と新聞に掲載されるやいなや、スーパーで、トマトが飛ぶように売れたとのことです。リノール酸の一種の「13-oxo-ODA」という物質にその効能があるとのことですが、まだ、マウスでの研究結果ということです。もっとも、「トマトが赤くなると医者が青くなる」という諺がヨーロッパにあるそうです。

食についての諺というか漠然とした言葉は、世界中にあります。例えば、料理研究家からは、(多分、1回の食事で)「5色の色を食べること」とか、「30種類の栄養を摂ること」ということを聞きますが、きっと科学的な根拠があってのことと思います。

ところで、科学的という概念の対極にあるような、怪しげなシャーマンが村人の病人を儀式で治療する秘境での光景を映画等で見たことがあるでしょう。実際には、欧米の製薬会社が大きな興味を持ってアプローチしています。ストレートな社名ですが、「シャーマン製薬」という会社が米国に過ってあったほどです。浅学な私は、定年前まで米国系の製薬会社に勤務していましたが、科学の領域ではなく、文字通りマジック、呪術の世界のこととして気にもしていませんでした。ところが、医薬品には、そのノウハウを拝借した植物由来のものが沢山あります。例えば、抗マラリア薬のキニーネは有名で、高血圧にレセルピン、そして、抗がん剤としてのイリノテカン、ビンクリスチン、タキソール等、挙げれば数え切れないです。単に私の場合は、合成化学医薬品の開発が製薬会社にとって収益が上がる世界に慣らされていただけというよりも、直ぐによく効く薬が一番と思い込んでいただけなのかもしれません。海を渡らなくとも、少し振り返れば思いつくことですが、オジイチャンやオバアチャンから聞いた「ドクダミ、クズ、ゲンノショウコ、ハコベ、オオバコ、イカリソウ、タンポポ、イタドリ、ヨモギ」など数え切れない程ありました。一説によると、薬の50%は熱帯雨林の植物に資源があるといわれています。真偽は兎も角、シャーマンは自然を熟知し、非常に多くの植物を利用していたといえます。そのような資源が眠る地域でプラトンハンター(日本ではプラトンといえば古代ギリシアの哲学者プラトンを追いかける人?)と呼ばれる人たちが、シャーマンの知的財産を競って拝借していたようです。経済活動の中で、確かに医薬品は儲かります。例えば、今年には入ってですが、過って勤務していた会社の高血圧薬の特許が切れた途端に、後発医薬品会社が35社も参入しました。
日本では、薬事法の規制もあってというか、合成化学医薬品の素晴らしい効果を目の当りにして、開発の方向性も収益性のあがるものにフォーカスし、パターン化していたものと思います。難しい話になりますが、薬事法では、単なる薬草は薬として認めてもらえませんし、今流行のハーブやサプリメントは、医薬品として扱えません。その一方で、近代医学を牽引する米国での薬草を用いた栄養療法、欧州でのハーブ療法が進展するのを横目に、双方の領域ともに水をあけられている日本があるかもしれません。食糧問題も同じかもしれませんが、遺伝資源という視点で植物の原種が囲い込まれて、あるいは消えていく中、生物多様性を法律や条約でしか保てなくなるとすれば、少し寂しい気がします。

過って秘境といわれた長寿村の人々は、特に長寿を求めて生活していたわけではないと思いますが、世界中にある食生活、そして、医学や薬草の伝承的知識は、身の回りにある自然環境を大切にしていた中で有効に機能していたように思います。旅の途中で、地元の人、特に、オジイチャンやオバアチャンと昔話をするだけでも健康になれるような気がしてくるかもしれません。

何れにしても、秘境と健康、そして、長寿村の話題から脱線していますので、話題を少し戻って次の話をしてみたいと思います。


《2. 改めて「秘境」について思うこと

秘境について述べてきましたが、先ず、「秘境とは」の定義らしい言葉を改めて拾ってみました。
「秘境とは」:

  • 外部の人が足を踏み入れたことがほとんどなく、まだ一般に知られていない地域。
  • 人の訪れたことのない、まだ一般によく知られていない地域。

以上のような地域らしいです。
旅行のパンフレットを見ると、枚挙にいとまがない程の秘境の地域があるようです。
 ・ヒマラヤ最後の秘境「ブータン王国」
 ・インドネシア密林の秘境「シベルト島」
 ・インドシナ半島の秘境「ベトナム国境地帯」
 ・アフリカ絶海の秘境「マダガスカル」
 ・アジア最難所の秘境「アジアハイウェイ」
 ・世界最南端の秘境「南米パタゴニア」
 ・「失われた世界」雲の上に浮かぶ天空の秘境「ギアナ高地」 等々

皮肉のような言葉になりますが、何れも一般の人によく知られている地域のような気がします。
もっとも、知っているからこそ、安心して旅行にいけることになることから、旅行業も成り立つわけですので、とやかく指摘することでもないと思っています。

多くの人が行きたい、あるいは行っている上記のような秘境は、ラテン語のtornus(ろくろ)が語源の英語でいうtourism(諸国を巡って戻る旅行)を目的の地域を指すとは思います。
つまり、知識欲や好奇心が主な動機となっている安心・安全を担保した観光(sight-seeing)目的の地域なのでしょう。
昔から日本人は観光を楽しみにしていました。例えば、旅行業は、平安、鎌倉時代からあり、先達(せんだち、せんだつ)・御師(おし)と呼ばれる人たちが熊野三山(蟻の熊野詣)・伊勢神宮(神明講を組織)を案内したそうです。江戸時代には、東海道のガイドブックが良く知られています。ず〜と飛んで、戦後の1964年(海外渡航者が3万人未満の時代)に海外旅行が自由化し、早くも1965年が第1次海外旅行ブームといわれた時代が到来しました。とはいっても、外貨の持ち出しは、年間一人あたりUS500(当時はUS$1=360円の固定相場制(1948年(昭和24年)〜1971年(昭和46年)まで)、その後、1973年(昭和48年)に変動相場制への移行(1ドル270円))し、高度経済成長の背景もあって、多くの人が海外旅行へ出かけました。1972年に海外渡航者数が100万人を超えたとは言っても、まだまだ一般の人にとっては高嶺の花だったかもしれません。そして、1995年(平成7年)に海外旅行者数が1500万人に達しました。当然ながら、旅行先のオプションは、秘境地域も含めて飛躍的に伸びたと言えます。
日本国内での旅行気運の高まりとともに、別添に示したような「三大○○」や日本100名山等々が知られるようになりました。当然、その中に、「日本最後の秘境・雲ノ平」もありました。確かに、今でも簡単なアクセスではないのですが、行ってみると木道も整備され、大切な自然保護に努力していると感じる光景があります。また、1989年(平成元年)、JTBの雑誌、「旅」の9月号が創刊750号目を迎えるのを記念して開いたシンポジウムで、「日本の秘境100」が岡田喜秋、C・W・ニコル、立松和平、辺見じゅん、椎名誠の皆さんによって選定されました。勿論、秘境の定義に近い人跡未踏の地が国内にあったか否か分かりませんが・・・

ところで、私に経済的な余裕があったわけではないのですが、1970年代前半から半ばにかけて、今でいう秘境と称される、花が咲き乱れるカシミール、アフガニスタンの砂漠の奥の砂漠の真珠といわれる湖・バンディ・アミールを歩いていますが、つくづく幸せで、行ける手段があって、行ける社会的・歴史的・政治的環境があったからこそのことでした。
カシミールは、インドとパキスタンの領有権問題があります。別添の地図にある地域です。アフガニスタンはご存知の通り紛争地域です。
例えば、パミールの入り口にあたるバンジール渓谷は、カーブルの北150 km、ヒンドゥークシュ山脈の裾にありますが、アフガニスタン国内でタジク系住民がもっとも密集している地域です。そこでは、マスード将軍が有名です。ソ連軍の大規模攻撃をも撃退し、「パンジシールの獅子」と呼ばれたそうです。19887月、マスードはソ連軍捕虜を自発的に解放し、ソ連軍の撤退を妨害しないことを約束し、実行しました。このことはマスードに対するソ連側の心象を良くし、後にロシアが北部同盟を支援する動機ともなった伝えられています。

実は、私がアフガニスタンに興味をもったのは、戦争とは全く関係なく、登山の報告にあったワハン回廊を知ってからでした。少し詳しく書くと、1967年の海老原道夫らヒンズー・ラジ登頂、1969年にRCCU(第二次ロッククライミングクラブ)のレーニン峰を登頂で紹介されたカラコルムの地図からでした。カラコルム山脈はパミール高原とも呼ばれ、パキスタン、インド、中国の国境付近にまたがる、長さ約500キロメートルの大山脈で、ヒマラヤ山脈の北西側に位置しています。ワハン回廊は、カラコルム山脈の北西にあります。カラコルム山脈は世界第二位の高峰K28611m)をはじめ、8000m級の山が 4 座あり、7000 m級の山も60座以上あるといわれています。ようするに、当時、山賊はいましたが、今のような物騒な時代ではなかったのかもしれません。何せ、秘境に行けたわけですから・・・
確かに、添付した地図を見ると、ややっこしそうな地域です。
そのややっこしい真っ只中、「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原のタジキスタンとアフガニスタンとの国境を成す数百キロにわたる渓谷がワハン回廊(ワハーン渓谷)といわれる地域です。そこは、英国(インドからパキスタンに北進)とロシア(中央アジアに南進)が「直接衝突」しないための干渉地帯としてのアフガニスタン領とした地域とのことです。民族も多様で、隣り合う二つの村でまったく異なる言葉を使う村を見ることもできます。よく「桃源郷」ともいわれますが、ブドウ、アンズ、リンゴがたわわに稔る地域です。
実は、登山目的だけでなく、日本人の外交官・西徳次郎が1880年(明治14年)に、パミールを越えています。また、同じく明治時代に、僧侶の大谷光瑞の探検隊がパミールに分け入っています。人間の世界はややっこしく、秘境とはいっても、人為的な力関係の舞台でもある地域ようです。

最近、アフガニスタンの最初の国立公園としてバンディ・アミール国立公園を制定する法令が成立したとのことです。多くの「秘境」好きな観光客が一日も早く訪れて欲しいものです。
世界中には、何時かは訪れてみたい地域が沢山ありますが、現在、本当の意味での秘境は極めて少ないのではないでしょうか。各地域には、地域の人々が長い年月をかけて培ってきた文化、風習、人々の希望があるはずです。もう少し、秘境について考えてみたいことから、一先ず、今回の記述を止めることといたします。
何れにしても、「健康」でなくては「秘境」にも行けませんので、その時のために、最初に記述した「健康」についても引き続いて考え、追記していく予定です。

2012年02月26日